私の生い立ちやトレーナーを志した理由を書きました。

よろしければお読みください。

                              

私がトレーナーを志した理由

                                             

私は、冬の12月母の故郷である秋田県大曲市(現大仙市)の病院で生まれました。

11月に出産予定日だったのですが、予定日より約1ヶ月遅く生まれたのもあり

出生体重が約4000gもありました。

現在は弟と妹がいる3兄妹の長男です。

近所のアイドルでした

幼少期から鉄道が大好きで父親が休みの日には

両親と毎週電車の車庫がある場所に連れていってくれたのが思い出です。

鉄道好きなTHE男の子でした

そんな両親ですが

父親は高校時代サッカー部で山梨県の強豪校で雑誌に載るくらい有名選手で

母親も高校時代卓球部で国体出場の実績があり

体育会系両親の元に生まれた私は当然ながら物心が付く前から

「スポーツ」がある環境で育ちました。

東京に引っ越した2歳から近所のスイミングスクールに通い始め、

幼稚園では体操、サッカーを習い始め

小学生になると毎週水曜日はスイミング、土曜日はサッカー、日曜日は野球と

スポーツ漬けに明け暮れて、この頃からメキメキ運動神経が発達し

体育はクラスでも抜群に目立っていました。

小学校5年生になったある日、母親から

「野球とサッカー、しっかり続けていきたい方を選びなさい」と

選択を迫られ「野球」を選びました。

野球を選んだ理由は

サッカーのヘディング練習で頭が痛くなるのが嫌だったためです

(それだけが決め手ではないですが笑”、元々野球の方が好きでした)

ちなみに水泳は8年間やって結局25mを一度も泳ぎ切れず、小学3年生の時に辞めています。

この頃からスポーツを通して身体を動かす楽しさと同時に

ある性格が私の人格を形成していくことになります。

それは「人見知り」な性格です。

人見知りの性格は団体スポーツをしている私にとってかなり辛いものでした。

周りの友達とうまく馴染めない、話したいけど自分から輪に入っていけない。

うまくコミュニケーションが取れない。

なのでその当時思っていたことは

「自分が努力して試合で活躍すれば友達は喜んでくれて寄ってきてくれる!頼ってくれる!」

と考え

学校から帰ってきたら、毎日家の前で壁当てや100回以上素振りをして人一倍努力しました。

【相手に喜んでもらう事をするのが自分のモチベーション】
【人の役に立つ事をして「ありがとう」と言われる事が何よりの喜び】

この考え方は、人見知りの性格もそうですが、幼少期から「相手のことを考えて行動しなさい」という両親の教えが、現在トレーナーの仕事でお客様と向き合う姿勢の根源になっていると思っています。

その努力が結び、人見知りな性格は克服していませんでしたが

チームでは4番エースとして活躍し、自分なりに希望を持ちながら

プロ野球選手夢一本に向かっていました。

                               

人生初の挫折

                                            

中学校に入学し、野球は学校の部活動には入らず

地域のクラブチーム(リトルシニアリーグ:中学の硬式リーグ)に入りました。

クラブチームに入った理由は、学校の部活は小学校と一緒の軟式ボールを使うのですが、

シニアリーグはプロ野球と一緒の硬式ボールを使えるとのことで

夢に勝手に近づいたと勘違いを起こしていたのと

学校の部活だと「坊主にするのが絶対」でそれが嫌だったためです笑”
(所属していたクラブチームは坊主でなくてもOKでした)

地域の小学校の強い子たちが集まるリトルシニアリーグでは、全然レギュラーになれませんでした。

しかも、元々その当時、筋力もなく細い身体の上

「身体がもの凄く硬かった」せいで「間違った身体の使い方」で身体を酷使し

肘、肩を痛め、整形外科に通う日々でストレスを凄く抱えていました。

本来ならそもそも人一倍練習積まないとレギュラーを掴めないのに

ろくに皆んなと同じ練習すらも出来ない焦り。

劣等感、疎外感、嫉妬で思春期の私はいつしか練習をサボるようになっていました。

学校から帰り、荷物持って家から15分ほどのグラウンドに向かうのですが、近づくと

勝手に足が震え始め、行くのが怖くなりUターンし本屋さんやコンビニなどで時間を潰し

帰って「早めに練習が終わった」と親に嘘ついた日々もありました。
(後にサボっていた事は知っていたようです)

それでもプロ野球選手の夢は諦めたくなく

きちんと練習に出始めましたが、肘や肩の状態はどんどん悪化する一方で

3年生に上がった5月、通っていた整形外科の先生から

「もうこれ以上野球は続けられない状態」と宣告され

プロ野球選手の夢は諦めることとなりました。

これが14歳の人生初の大きな挫折です。

ちなみに挫折はそれから何度かありますが

この時の私自身の身体の故障による夢の断念が

今となっても一番大きな挫折となっていて

トレーナーを志す最初のきっかけとなった出来事でした。

                                

自身の怪我の経験からトレーナーの道へ

                                              

野球を辞め、高校は足の速さを活かし陸上競技部(短距離)に入りました。

自宅から高校までは片道1時間以上の場所で

さらに朝練習もあったので、引退するまでは朝練のない試験期間中以外は、毎朝4時半起きの高校生活でした。

毎日自分よりも早く起きてお弁当を作ってくれた母親には感謝しかありません。

しかし、その恩を結果では返せず身体の怪我は高校生活でも繰り返しました。

慢性的な足の脛の痛み(シンスプリント)によって

高校3年間の内1年以上は

リハビリで別メニューをしていて大きな成績は残せませんでした。

脚の故障続きで練習が出来ずストレスを抱える日々

高校2年生の夏の合宿でリハビリで別メニューをしていたのですが

ここでトレーナーを目指す転機が訪れます。

当時コンディショニングの担当で面倒を見ていただいた

アスレティックトレーナーの方に

「身体の使い方」と「故障の原因」を親切に指導受けました。

それまでは、走る本数とウエイトトレーニングで筋肉を人より付ければ

身体も壊さずに体力も筋力もついてくると、がむしゃらに練習してきましたが

「ケアの重要性」と「身体の土台作りの重要性」を本当の意味で理解しました。

そのトレーナーの影響で

「自分と同じように身体の怪我から救う仕事がしたい!」

とスポーツトレーナーの専門学校に入学し

解剖学、生理学、バイオメカニクス(運動学)、栄養学など

人の身体に関わる分野を3年間徹底的に学びました。

                               

充実したフィットネスクラブ時代と同時に指導に疑問を抱えるように

                                            

専門学校在学中に自分から働きたいと思う就職先が見つからず

どこの企業にも就かず卒業し、何が自分に活かせる仕事はないかと横浜のランニングクラブのボランティアとして

一般市民ランナーの技術指導のお手伝いをしたり、スポーツに関わるお仕事を専門学校の紹介でいくつかさせていただいていました。

やりたいことを模索している中で、ある時知り合いから

「フィットネスクラブで働いてみたら?」

とアドバイスをいただき都内のフィットネスクラブに入社します。

入社したフィットネスクラブは高齢者や40代〜50代の主婦層が多いクラブでした。

私自身元々幼少期は同級生の友達と遊ぶより

親戚のおじちゃん、おばちゃんや年上の人と一緒にいる方が好きだったので

その年代の方々に囲まれての勤務は毎日が楽しかったです。

幼少期の環境の影響だと思います。

何年か経ち身体の勉強もしながらグループレッスン指導、ジムでのお客様案内にも慣れてきたころ、ある疑問を感じていました。

フィットネスクラブには様々な目標、身体に悩みを抱える方が運動しています。

その中で、毎回パッケージされたマニュアルの指導でひとりひとりの悩みが解決されるのか?

それはグループレッスン指導していても同じ疑問を抱えていました。

同じエクササイズをやってもレッスン後に

「身体が楽になったよ!ありがとう!」

と感謝してくれる方もいれば

「あの動きやった時に腰痛くなったな」

という方もいました。

そこからよりもっと深く身体のことを学びたいと思い、

知り合いのインストラクターから紹介をしてもらった「ピラティス」を学びます。

ピラティスの指導者養成コースで「身体の使い方」と「姿勢」を徹底的に学びました。

ここでの学びが私にとって大きな衝撃となりました。

ピラティスは正しい骨格のポジショニング内を作り出すために

適切な関節可動域内で必要な分の筋出力を出せるようにエクササイズを行います。

つまり動きの中に身体を悪くしてしまっている癖が出ていないかの

評価を学ぶことが出来ます。

言葉を言い換えると、身体の不調の「原因」を発見できることにつながります。

つまり「結果」ではなく結果の元の「原因」を運動で解決出来るスキルを

身につくことが私にとってワクワクが止まらない非常に濃い学びでした。

同時に私が怪我をしていた当時の気持ちのモヤモヤがスッキリしました。

「先生の言う通り治るまではちゃんと安静にしていたのに、何でまた同じとこが痛くなるんだよ!」

この疑問が吹き飛びました。

なぜなら私が学生時代にずっとやっていたことは「対症療法」だから。

その時に思いました。

今持っている知識で

「中学生の私を救ってあげたかった。。」と。

もう遅いです。時間は返ってこないです。

しかし、今目の前のお客様にはこの技術を提供出来て

当時の私みたいにその場しのぎの治療だけで身体が一向に良くならず

夢を棒に振る前に救えれることが出来るかもしれない。

原因もわからず、年だからと諦めている人に

身体が変わることで笑顔にすることが出来るかもしれない。

大げさですが、その人の人生を変えれるようなお手伝いが出来るかもしれない。

それからは身体の動きの「評価」を徹底的に学びました。

同僚や家族、友人など色々な人の動き、姿勢を見ました。

その学びは自分自身の身体でもすぐに体感しました。

趣味のランニングからマラソンの大会に出場し始めていた頃

古傷の影響から練習中走っていて

長い距離になると膝が痛くなることもあったのですが

トレーニングで身体の使い方から膝を痛くしてしまっている原因を知り

トレーニングで自己鍛錬し膝の痛みが治るどころか、

一度も痛みを抱えることなく初フルマラソンを完走することができました。

この成果は自分にとって大きな自信につながりました。

怪我をせず健康な身体でいるためにはまず身体の土台である「姿勢」

自分で理解して正しく身体を動かせるようになること。

その時私のトレーニング指導のベースが確立した瞬間でした。

今でもピラティスは松永の指導のベースとなっています。

それから自信持ってパーソナルトレーナーの業務も任せてもらえるようになり、

少ない業務の中で結果も出し、当時勤めていたフィットネスクラブでアルバイトながらも指名数、セッション数も一番になりました。

                                

5年間お世話になったフィットネスクラブを卒業

                                              

様々な業務をこなす中でパーソナル指導が一番楽しかったのですが

1対1でのセッションを積み重ねていくことで

トレーニング指導以外でもうひとつ大事なことに気づきました。

それはお客様が抱えている「本当の悩み」です。

ダイエット、健康維持、姿勢改善、肩こり改善

それらは目標ではありますが、「手段」であるということ。

本当の目的は別にあるはず。

それから、私はパーソナルだからこそ出来るカウンセリングを通して

お客様の身体の悩みにより傾けることにしました。

なぜ姿勢を改善したいのか?

肩こりを改善したいということはその裏には本当は何かやりたいことがあるのか?

体だけでなく心にも寄り添って感謝される仕事に

グループレッスン指導では感じれなかったやりがいがありました。

しかし、その時間は会社のアルバイトとして働いている以上、当然天井がきます。

長年同じ職場にいて、仕事も慣れてくればスタッフからは

頼ってもらえることも多くなっていました。

その他マシン指導やスタジオレッスン、イベント業務、ランニングクラブ業務など

どれも楽しくてお客様にも「今日も楽しかったよ!」と

言ってくださることにやりがいを感じていました。

人にも恵まれ好きな仕事を見つかり

これほどやりがいのない環境はないと思っていたからこそ

苦渋の選択でしたが、

それ以上にひとりの身体と向き合っていく時間を

多く作りたいとの気持ちの方が強く

意を決して約5年間のフィットネスクラブのスタッフの立場から

身を引くことに決めました。

ちなみに、既に辞めることを会社に伝えていた後に、会社の創立記念パーティがあったのですが、その中で店舗で「1年間会社に貢献したスタッフを決めるMVP」に何と選んでいただいたのに、最後は私の独立に快く背中を押していただいた会社には、本当に感謝で一杯でした。これからも何かの形で恩返しさせていただこうと思ったアルバイト時代の最後でした。

ラストレッスンに90名も参加していただき最後の門出を祝っていただきました

                                 

姿勢から変えるパーソナルトレーナーとして独立

                                               

2016年10月パーソナルトレーナーとして独立しました。

全く新しい都内のフィットネスクラブでパーソナルトレーニング業務、

自宅出張でのパーソナルトレーニング指導活動を始め、

徐々にたくさんのお客様とマンツーマンで指導をする時間を作れるようになり

カウンセリングを通して悩みを抱える中である共通点が出てきました。

それは「姿勢が悪い」ということです。

そして身体の不調を訴える方の原因を実際に見ると

ほぼ全ての方が

「姿勢が悪い」ことが原因の全ての始まりでした。

そして、その姿勢がトレーニングによって綺麗な姿勢に変わることで

表情が明るくなり自信を持つようにもなったお客様の姿。

「心身両面」という言葉がありますが、

この2つをつなぐものも「姿勢」ということに気づきました。

身体を作る大事な土台作りである姿勢改善、その先にある明るい未来。

運動を通じて姿勢が変わることは見た目だけでなく

内面まで変えることが出来るんだということに気づきました。

お客様からトレーニング指導で

「松永さんと話していると安心する」

「思わずどうでもよいことも話しちゃう」

「しっかり最後まで話しを聞いてくれるから相談しやすい」

と言ってくださることが多くなりました。

私も普段から心がけてはいますが当時の職場の先輩からも

「それはだいすけの強みだよ!」と褒めてくれた時もありました。

そこで、私はこの強みはあるところからきているのだと気付きました。

                                

短所だと思っていた人見知りの性格が相手の事を考えられる長所に

                                              

最初の方にも書きましたが、おそらく今でも人見知りな方だと思います。

幼少期から引っ込み思案で人の顔色をうかがっていた性格は、自分でも嫌いでした。

クラスの人気者で元気キャラな友達を

いつも憧れながら(9割嫉妬笑)一歩後ろから見てました。

ただそれは同時に常に相手が何を考え、

会話でも「こう言ったら相手は嫌にならないだろう」

と性格に合わせて喋る技術を身につけていたんだろうと今は思います。

相手優先に考え言葉や行動していたことは、

この仕事にとって「強み」でもあることに気付きました。

指導者は常に伝える側なので、1回の限られたセッション時間の中で

どうしてもあれもこれもと専門的な話しを

一方的に話しがちになりやすいですが

私はお客様のタイプに合わせて

「聴くこと」を心がけていきました。

                               

松永のトレーナーとしての信念

                                            

現在はスポーツクラブでの活動を終了し

2021年7月7日に自身のお店『姿勢改善ボディルーム』をオープン致しました。

この情勢の中でも自分の伝えたい事は変わりありません。

まずは骨格の姿勢から正し

見た目を変え、身体の機能も向上させ、

やれなかったことが出来るようになった自分に自信がつき内面が変わる。

そして前向きな姿勢で人生を過ごすためのパートナーとして

全力で身体作りのサポートをさせていただきます。

最後に私が考える健康とトレーナーとしてのミッションをお伝えします。

松永が考える「健康」とは

「今達成したいと思う時にすぐに行動に移せる身体でいること」

今までやりたいことがあっても

原因が分からず治療にお金と時間を費やし

やりたいことが先延ばしになっていた方に、

トレーニングによってその人が

「動きたい身体!」「動ける身体へ!」

「ヨーイ!ドン!」と

いつでも走る準備が出来ている身体へのアプローチをしていきます。

私はトレーナーという運動指導者の立場から

そんな人を世の中にひとりでも多く増やしていくことが

現在のミッションであり

強い信念もってこれからも活動していきます。

最後になりますが

私は引っ張っていくリーダーシップ力は無いですが

パーソナルトレーナーとして目の前のお客様の悩みに寄り添い

「引っ張っていく」のではなく

必要な時にポンっと

「背中を押してあげれる」

トレーナーであり続けたいと思っています。

以上長くなりましたが、

これが私のトレーナーを志した理由と

トレーナーとしてあり続ける理由です。

最後までお読みいただきありがとうございました!

パーソナルトレーナー 松永大佑

プロフィール

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パーソナルトレーナー 松永 大佑(Matsunaga Daisuke)

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